ウフィッツィ美術館「浜田知明展」会場風景
2007.12.14 - 2008.1.27




2007年12月13日にプレビュー、12月14日からウフィッツィ美術館にて開催された「浜田知明展」会場風景です。会期隣の部屋で行われている「レンブラント展」と同じく、2008年の1月27日までの会期で開催されました。





ウフィッツィ美術館は、歴代メディチ家の美術コレクションを収蔵する美術館で、ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」、ダ・ヴィンチ「受胎告知」、ミケランジェロ、ラファエロらイタリアルネサンスの巨匠の絵画が収蔵されているルネサンス絵画の宝庫として世界的に有名な美術館。作品収蔵、個展開催ともに400年を超える歴史を持つ同館においても異例のことです。日本人作家としても初の歴史的快挙となりました。


会場にてイタリアの来館者へ浜田知明の作品について感想を聞いてみました。一人の男性は「ぐにゃぐにゃとした太陽がのぼる」を見て、”この小さな画面に広大に広がる大陸、そしていつまでも果てしなく続く道と戦争の苦痛が見事に表現されたすばらしい作品”と絶賛していました。




チェッコ・ボナノッテ展
イタリア文化会館
2007.5.25 – 6.24




2007年5月25日から6月24日にかけて、「日本におけるイタリア2007 春」の公式イベントとして東京・九段下にあるイタリア文化会館にてチェッコ・ボナノッテ展が開催されました。


展覧会開催中は産経新聞にて多くの記事、広告が掲載された影響もあって多くの来館者にボナノッテの彫刻を楽しんでいただけました。


同展にはヴァチカン美術館からの特別出品などもあり、日本では見れない作品も鑑賞することが出来ましたが、イタリアやフランスなどご旅行に行かれた際には是非現地にてボナノッテのモニュメンタルな作品をご高覧いただければと思います。




箱根・彫刻の森美術館
チェッコ・ボナノッテ展
2006.12.10 - 2007.2.18

箱根・彫刻の森美術館において、2006年12月10日(日)から2007年2月18日(日)に彫刻の森美術館、久光製薬主催による「チェッコ・ボナノッテ展」が開催されました。





本展には、国内の主要美術館からの作品に加え、ヴァチカン美術館などイタリアからの特別出品による彫刻90点と絵画、素描など60点をあわせた合計150点が展示されました。作品の選定、会場構成、展示とその全てに作家自身があたり、作家の一貫した世界観で構成された大規模な展覧会となりました。





チェッコ・ボナノッテは現代イタリアを代表する彫刻家で、2000年にはヴァチカン美術館新正面入り口大扉制作、2006年にはパリ・リュクサンブール美術館ブロンズ大扉の制作など、歴史的に見ても偉大な制作を数多く行う世界的作家の一人です。国内でも1975年の沖縄海洋博覧会・イタリア館への出品、1990年には4美術館を巡回する「ボナノッテの世界展」などが開催されています。


チェッコ・ボナノッテ作家ページ


自然の中に設置され日の光を浴びたボナノッテの彫刻は、より躍動してその存在感を示していました。ご来場ありがとうございました。


会場:箱根・彫刻の森美術館
会期:2006年12月10日(日)~2007年2月18日(日)




チェッコ・ボナノッテが描いた ダンテ「神曲」展
イタリア文化会館
2006.11.10 – 2006.12.13

東京・九段下のイタリア文化会館で、2006年11月10日から2006年12月13日にかけて、「チェッコ・ボナノッテが描いた ダンテ「神曲」展」が開催されました。



会場風景


中世イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリ(1265 - 1321)の遺した、世界史上に燦然と輝く大叙事詩『神曲』。その『神曲』を、現代イタリアを代表する彫刻家チェッコ・ボナノッテが103枚のドローイングであらわしました。



「煉獄篇」扉


「『神曲』のタブローはそのひとつひとつが、シンプルさと軽妙さをもって、一続きの場面を表現しています。そこでは希薄となり夢幻の様相を帯びた大気が、個々の小さな事物が形作るひとつの現実の断片を包み込んでいるのです。儚く軽やかな夢を通して、私は人間存在の大きなテーマに取り組みました。すなわち、愛、幸福、人間の限界、人生についてです」(チェッコ・ボナノッテ)


チェッコ・ボナノッテ作家ページ


ご来場誠にありがとうございました。


日程: 2006年11月10日 - 2006年12月13日
時間: 11:00 - 18:00
場所: イタリア文化会館
主催: イタリア文化会館、久光製薬株式会社
協力: イタリア大使館、アリタリア航空、ヒロ画廊




パリ・リュクサンブール美術館ブロンズ大扉セレモニー
チェッコ・ボナノッテ

 2006年9月11日に、パリのリュクサンブール美術館の新しいブロンズ大扉のオープニングセレモニーが開催されました。制作したのは2000年にヴァチカン美術館の新正面入り口ブロンズ大扉を手がけたことでも知られる現代イタリアを代表する彫刻家、チェッコ・ボナノッテ。



リュクサンブール美術館大扉


 同美術館は1818年にルイ18世が同時代の美術家の作品を展示するため開設されました。もとは17世紀に設営された宮殿で、ルーベンスの大連作「マリー・ド・メディシスの生涯」も、当時このリュクサンブール宮殿の大回廊を飾っていたとされています(現在はルーヴル美術館収蔵)。現在は特別展のときのみ公開されています。


リュクサンブール美術館ホームページ




BAS 06 BUNKAMURA ART SHOW 2006
鮫島大輔

2006年8月18日(金)から8月27日(日)にかけて、渋谷Bunkamura GalleryでBunkamura Art Show 2006 が開催されました。ヒロ画廊からは鮫島大輔を紹介しました。


出展アーティストは以下の通りです。


鮫島大輔 永瀬武志 浜竹睦子 山口典子





風景が額縁や球体に描きこまれた「立体的な絵画」とでも呼べる鮫島大輔の作品は、私たちとそれを取り囲む環境との関係をある意味で逆転させてしまうような、奇妙な感覚を与えます。そこで描かれる風景は単に外的で不変な、無時間的なものではなく、私たちが内に持つ心象やそれが生み出される時間をも併せ持つ、総合的な出来事としての風景です。





新進気鋭のアーティストたちの意欲的かつ自在な表現をたくさんの方にご覧頂くことができました。誠にありがとうございました。


会場:渋谷・東急文化村 BUNKAMURA GALLERY
会期:2006年8月18日(金)~8月27日(日)
会期中無休・入場無料
お問い合わせ:03-3477-9174


BUNKAMURA ホームページ




チェッコ・ボナノッテ ダンテ「神曲」展
サンタクローチェ美術館・パッツィ礼拝堂
2004.10.9 – 2005.1.9

2000年にヴァチカン美術館の扉を制作したイタリアを代表する彫刻家、チェッコ・ボナノッテが103枚のデッサンで表現したダンテ「神曲」の展覧会が開催されました。会場にはダンテの故郷であるフィレンツェのサンタ・クローチェ教会内にあるパッツィ礼拝堂が選ばれました。同礼拝堂は、ルネッサンス期の巨匠ブルネリスキによる建築で有名です。





同展は会場となったサンタ・クローチェ美術館、ヴァチカン美術館、ウフィッツィ美術館といったイタリア本土最高峰の美術館の協同主催という異例の展覧会で、2004年10月9日-2005年1月9日の間に開催され、大きな注目を浴びました。当展覧会で展示されたボナノッテの作品103点は、その圧倒的な創造性、デッサン力による表現が評価され、その後フィレンツェのルネッサンス絵画の殿堂、ウフィッツィ美術館の所蔵品となりました。



「天国篇」扉


「ボナノッテが我々に提示する『神曲』の解釈には、どこか一定しない、それでいて軽やかな調べを奏でるが如きところがある。あたかも貝殻を耳にあて、海の息づかいを聴くような趣きである。この場合、貝殻とは『神曲』のことだ。ボナノッテは、『神曲』の深遠広大な世界から響いてくるざわめきに耳を澄ませて、それらを拾い集め、幻惑から覚めぬうちに見事な手並みで作品化した。そのざわめきは、かすかな畏怖とともに、我々をも幻惑し感嘆させずにはおかない。」(アントニオ・パオルッツィ 前文化大臣、フィレンツェ美術館特別監督局総監)


会場:サンタクローチェ美術館・パッツィ礼拝堂
会期:2004年10月9日-2005年1月9日
主催:サンタ・クローチェ美術館、ヴァチカン美術館、ウフィッツィ美術館(三館共催)




BAS 04 BUNKAMURA ART SHOW 2004
“LANDING”
今野尚行

2004年8月21日(土)から8月31日(火)にかけて、渋谷Bunkamura GalleryでBunkamura Art Show 2004 “LANDING” が開催されました。次世代を担うアーティストを発掘、発信するために創立されたこのグループ展の第一回に、ヒロ画廊からは今野尚行を紹介しました。


参加アーティストは以下の6人です。


稲垣智子 / 今野尚行 / 大谷有花 / 大森暁生 / 呉亜沙 / 渡部裕二


テーマの「LANDING」は、人間がそれぞれに日々の生活を営む中で、その人生というフライトを経てたどり着く中継地や到着点、そこへ至る過程を意味しています。アーティストの創作活動を飛行機のフライトと例えるなら、アーティストはギャラリーや美術館といったエアポートに着陸することで人とのつながり、社会的な意味づけを与えられます。



アイシャドー / Eye Shadow
oil on canvas / 31.8×40.9cm / 2003


手に押し付けられたアイシャドーの跡。その下地となる肌とも相まって、複雑なグラデーションを作り出しています。顔を鮮やかに彩るアイシャドー、それをふき取る手には非日常と日常の転換点、曖昧なゆらぎがあらわれています。


今野尚行作家ページ


会場:渋谷・東急文化村 BUNKAMURA GALLERY
会期:2004年8月21日(土)~8月31日(火)
会期中無休・入場無料
お問い合わせ:03-3477-9174


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大講堂落慶 慶讃 献展
チェッコ・ボナノッテ『生命の劇場』展
2003年4月

2003年、奈良薬師寺大講堂落慶の慶讃献展として、チェッコ・ボナノッテ作「生命の劇場」展が開催されました。この展覧会は薬師寺前管主の松久保秀胤長老の全面的な協力によって実現されました。松久保氏はボナノッテの作品に仏教における「唯識」に通じる普遍的な思想性を見出し、高く評価しています。



松久保長老とボナノッテ


イタリアの現代彫刻を薬師寺境内に設置する展覧会は画期的で、大きな評判になりました。五木寛之さんの有名な「百寺巡礼」にもこの作品に感銘を受けられたことが記されています。この作品はフィレンツェにあるサンタ・クローチェ教会でもその後展覧会が開催されました。薬師寺、サンタ・クローチェ教会ともに世界遺産です。東西や時空の別を超え、ボナノッテ作品の芸術性が求められていることが分かります。



「生命の劇場」


このレリーフはブロンズ、鉄、銅、シルバー、真鍮、アルミニウムなど複数の金属を使用した「ポリマテリアル」という種類の作品です。それぞれの表現に合わせて金属を使い分けています。レリーフ全体には生命の誕生、生命力、人生のバランス、人間の歴史など壮大なテーマがドラマチックに盛り込まれています。


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-描かざる幻の画家-
島崎蓊助 遺作展
大川美術館
2002.6.5 – 9.29

2002年6月5日(水)から9月29日(日)にかけて、群馬県桐生市の大川美術館にて「描かざる幻の画家 島崎蓊助 遺作展」が開催されました。島崎蓊助(1908-1992)は生前には一度しか展覧会が開催されず、秘められた画家としてその活動はほとんど日の目を見ることがありませんでした。その没後10年、帯独中の油彩を主軸に、未発表の初期作品、デッサン類、さらに兄鶏二の作品と父藤村の資料の一端を含めた約100点が展示される回顧展となりました。



市庁舎(リューベックにて)


「藤村からの『親譲りの憂鬱』が起因となる蓊助の『孤独』は、普遍化され、一つの芸術を成した。そこに至るには、幼少に独り見つめた木曽川の川床と、恵那山、藤村への反抗が、そして生前のドイツで受けた刺激と彷徨の中で背負った重荷が、さらに中国で突きつけられた現実感が、戦後の試行錯誤の中で統合され、さらに原点である藤村と幼少期の孤独に回帰して行ったという、『描かざる画家』としての過程が必要であった。
 この画家の沈黙が生んだ眼窩の世界のセピア色。彼はこの世界と色を社会に問い掛けた。それから30年余り、その反響は以前沈黙のままであった。久しぶりに我々の目前に突きつけられたこれらの作品から、それを見るものは何を受け取ることができるのだろうか。」
(展覧会図録より 大川美術館学芸員 春原史寛氏)


当画廊におきましても2010年に島崎蓊助展を開催いたしました。


島崎蓊助展 セピアに込めた執着と解放 




Box Art 展 ウーゴ・コルテシ
リアス・アーク美術館、新潟市美術館、静岡アートギャラリー、高知県立美術館
2001.7.4 - 2002.5.26

2001年7月4日から2002年5月26日にかけて、全国4美術館を巡回する「Box Art 展」が開催されました。ヒロ画廊からはイタリアのアーティスト、ウーゴ・コルテシが出展しました。


ボックス・アートは文字通り箱の芸術です。それは空間を囲うことで生まれる箱の「なか」と「そと」の世界、その神秘性や存在感などを芸術表現として取り入れた作品のことをさします。


 「子供は自分が本当に大切にしているものをとっておきたい時に、誰にも秘密に大事にしまっておける箱をまずみつけるであろう。他人にとってはたわいのない身のまわりの小物も、自分だけの世界「箱」に入ることによって、日常性が消し去られ、それぞれが一つになって宝物となる。箱の主題が現代作家を魅了するのは、「身のまわりにある日常」と、「独自の感性の世界」という一見して矛盾した要素を持ち備えているあたりにあるのではないだろうか?」(開催概要より)



無限のオマージュ ソニア・ドローネ 色彩のリズム / 1999年


ウーゴ・コルテシ作品の小さな箱に囲われた一つ一つの色は、四方の壁に守られて他の色と交じり合うことはありません。その峻厳とした区別は、芸術家でもあり医者でもあるコルテシが自らを律するルールを象徴しています。一人の人間の中に芸術家と医者として二つの魂を宿すために、その壁は必要不可欠だと作家は語ります。


「医者としての私と作家としての私は厳格な境界とルールで隔てられて初めて共に存在することができます。日々医者に助けを求め苦む人間は絵画の色彩の与える悦びを侵してはならないし、それはこの悦びが日々の病のもたらす痛みの中に消え去ってはならないのと同じです。」(ウーゴ・コルテシ)


ウーゴ・コルテシ作家ページ




「浜田知明の全容」展
朝日新聞社、小田急美術館、富山県立近代美術館、下関市立美術館、伊丹市立美術館共催
1996年

 1996年に日本全国の美術館及び朝日新聞の共催による、「浜田知明の全容」展が開催されました。



初年兵哀歌(歩哨) 1954年


 この展覧会はまさに「全容」展にふさわしく、1996年までに発表された全作品と、未発表の水彩画・スケッチなどを加えた200点を超える作品が展示されました。そこには東京美術学校時代のデッサンをはじめ、戦争を厳しく糾弾した初期の版画作品、戦争に限らず広く社会における不条理や醜さをユーモラスに風刺した近年の作品、1983年から制作を開始した彫刻作品も含まれています。



情報過多的人間 1984年


 1995年に終戦50年を数えたその翌年に開催された同展覧会は、浜田知明の歴史的評価を新たにするものとして大きな注目を集めました。「美術には、『人を楽しくする』そして『装飾性』という役割があります。でもそれだけでなく、『私たちが生きている社会』を表現するのも一つの役割だと思うのです」と浜田は1994年に語っています。人間が生み出しうる最大の地獄を体験した一人の芸術家が、その後の50年をどう生き、何を見、そして考えたか。そのうえで、芸術を通していかに社会に関わってきたか。浜田の画歴においても非常に重要な巡回展となりました。


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浜田知明展
大英博物館・日本館
1993.8.26 – 9.26

1993年8月26日から9月26日にかけて、ロンドンの大英博物館日本館にて浜田知明展が開催されました。大英博物館は世界最大規模の博物館のひとつで、その収蔵作品数は700万点を超えます。1753年に設立され長い歴史を誇る同館での個展開催は非常な名誉として大きな話題になりました。




大英博物館



この展覧会は大英博物館・日本美術部長ローレンス・スミス氏の全面的な協力によって実現されました。スミス氏はスペインのゴヤ、フランスのドーシェと並んで浜田知明を世界の三大風刺画家として高く評価しています。以下は同展覧会を記念して作製された『浜田知明作品集<コンプリート 1993>』(求龍堂、1993年)においてのスミス氏による浜田知明批評文です。


「感情の強烈さと、簡潔でありながら凝縮された表現を持つ、浜田知明の版画集を待ち焦がれていた。時がたつにつれて、浜田知明の初期の作品は、より公平な歴史の吟味にたえるようになり、その強烈さは、浜田の精神的な祖先と考えられるゴヤの版画のように、神秘的な凄さを感じさせるまでになった。浜田の初期の傑作である「初年兵哀歌」の「歩哨」を数分間凝視しただけで、不思議に思わざるをえない。若い頃に経験した恐ろしい悲劇から、浜田がどうやって自分を救いながら、原画を制作したのか。日々の感情の軋轢にどうやってたえられたかを。


 終戦後の日本のすぐれたグラフィック・アートの多くは、強烈さを隠蔽し、驚愕の感覚を巧妙に抑制してきたが、その内奥から目に見えない磁力を発散しつづけているのだ。このことは、太平洋戦争という異常な体験を考えたとき、驚くべきことではない。しかし、浜田の場合、真に驚くことは、唯一、直接的に真正面からこれらのことに立ちむかうことのできたと思われることだ。浜田は、画家としての生涯を通じて、戦争の恐怖という途方もない軋轢、気を狂わせるような情念、神経の混乱、現代的な生活の欠如の中で繰り広げられた、人間の感情の荒廃を熱烈な率直さをもって凝視し、描きだした。


 これらは、浜田の偉大で愛情のこもったテーマであるが、同時に、「ボス」における会社組織の力の濫用、「愛の歌」の男女の性のごまかしといった、人間相互の直接的私利私欲のありかたにも風刺の目を向けている。




ボス 1980年




愛の歌 1957年



 今日、浜田知明のような穏やかで優しい人を知ることは、喜ばしく、また畏敬の念を起こさせる経験である。内部において非常な苦痛を味わった人が、同時にこのような平静な感覚を、どうやってもてるのだろうか。多分、その答えは、作品に終始一貫しているテーマへの徹底した凝視と、その経験から回復するための極限の努力にあるのだろう。その厳格さにもかかわらず、作品には何ら残酷さがない。浜田の作品からは、決して大作ではないのにもかかわらず、切実な同情心が放たれ圧倒されるのだ。


 どの分野であれ、日本の現代の芸術家の作品を目にした批評家は、作品の中に日本人としての特質を規定しようとするのが常である。しかし、浜田にとっては、このことは見当違いであり、侮辱に近いものだといわなくてはならないだろう。浜田知明は世界的な芸術家であり、世界的ということでいえば、時の流れが与える洞察力をもって芸術の歴史が書かれるにつれ、さらに世界が彼を重要な存在とすることは疑いがない。」